no motor,no life

欅坂46初の東京ドーム公演を2日間観て

bar 公式サイトに座標で示された地に行ってみると、アリーナツアーとはぱっと見で世界観が異なるステージセットに、とんでもない2日間になるだろうことが容易に想像できる。ただ、容易にとはいっても良い意味で何をやってくるかわからない欅のやり方によくわからない感情を抱いたまま、一つだけ知っているのは緊張感を抱いたまま開演。



初日というのはセトリが出回ってないので、あのオープニングからOVERTUREが流れてからの「ガラスを割れ」なんて誰が想像できただろう。しかも、2018年ロッキンの衣装で。完全に辞書から守り、平穏という単語を破り捨ててステージに出てきている。その後の曲ごとにダンストラックを挟みアクセル全開の4曲が続き、たぶんこっちはその間口閉じたかわからないくらい怒涛の攻め。攻め。攻め。格闘ゲームだったらバグだろコレってくらい守りが無い、みんなが見たい、でも無理してほしくない欅がそこにいた。

ねとらぼさんみたいには伝える能力は無いのでアンコールまで割愛するけど、その前に、二日間通じて佐藤詩織さんの表情がとても印象的で、事あるごとに例えば紅白の舞台裏で、卒業した人、一期生の人数が減っていく事への悲しみを言葉に出していたのだけど、やはり今回のMCでもその事を語ってくれて、直球なまでに人思いで優しい方なのだろうなと感動しました。そう、東京ドームは26人ではなく30人で立っていました。

そしてアンコールへ。
久しぶりに開演前に「アンコールはございません」アナウンスが無かったこの日。確かに最後の曲が終わった後に照明がつかない。ただ、あれだけ飛ばしに飛ばし緩急自在に攻めていた欅、もうアンコールを何曲かで構成するのは無理だろうしそれは野暮だ。あの時の欅がリボルバーなら残弾は1発しか残ってないのはドームにいる5万人が知っている。誰ととはわからないが差し違えるならあの曲か?いや、メンバーが壊れる。だめだやめてくれ。あの曲だろうか?イントロが流れ理解したのは、一番初めに思ったあの曲だった。残弾の「不共和音」一発で東京ドームは大爆発し、リボルバーは無言で消え去り一日目が終演。壊れたのか、欅はあの曲を手中に収めたのかわからないまま二日目へ。あのイントロを聞いた時の各々が感じた感情は、あそこにいた何万もの人は一生忘れないでしょう。

二日目。セトリは変えないだろうけど、前日あれだけ攻め倒した欅がまた「ガラスを割れ」で一曲目からさらにボルテージを上げている。壊れる、やめてくれという思いは昨日をやり遂げたからという信頼に変わり、欅がファンに見せたい景色ならこっちも全力で応えるしかないでしょうと、演者と観客が一体になってボルテージを上げていく。ビッグエッグ(=東京ドームの事)をゆで卵にしてやるぞって感じか、もう場所の概念すら無くなっていたと思う。
「危なっかしい計画」の煽りで小林さんの「お前ら、最高」や、最後の曲、「太陽は見上げる人を選ばない」で小池さんの「みんなの事が大好き!」という叫びは、ステレオタイプにアイドルというジャンルで括られる事で、有る事無い事ですらわからないままにいろいろ言われ、時にサンドバッグで有らざるを得ない彼女たちだけど、あの場所に集まった、また、泣く泣く集まれなかったファンから彼女達への応援や感謝を感じてもらえたのならこれほど嬉しい事はないと思った。もちろん、一人、二日間ともあの場所に立つことができなかった子にも届いていればなおの事これ幸い。必ず、金木犀の光の花畑を見に戻ってきてほしい。指を7本出すメンバーだけでなく、ファンもみんな待っているのだから。

そして、アンコールの時がくる。二日間、百発百中どころか百発二枚抜き二百中を続けたリボルバー。また今日も残弾は1発なのはこちらも知っている。羊か?和音はこれ以上は壊れるから止めてほしい。でも見たいのも事実これ人間の強欲なところ。それは本編最後の数曲が輪をかけてぶち上がっていたからなおのこと。で、、、
流れるピアノ。「不況和音」。イントロでモニターに映る平手さんが泣き出しそうな苦しい顔で、ほんとにやめてくれー!と思った。けど、なんだろう。Aメロが始まると何か曲を制しているような、もうそこに欅共和国2017の面影は無く、曲を取り込んでいるような感覚。どういう感情なのか自分でもわからないけど気が付くと自然と涙が流れている。勝手に解釈したら失礼だけど、あ、曲を超えられたのかな、と思った。そこからは「なら、行けー!」って感じでこちらも乗っかる。「僕は嫌だ」がやはり今まで聞いたことのない、それは高校3年生の平手さんの感情で曲の発表当初には見えなかった感情に見えた。卒業した長濱さんに変わる2期生の田村さんの「僕は嫌だ」も、「2期生」である全員の葛藤を一身に背負った叫びで心つかまれる。そして、最後の平手さんの「僕は嫌だ」。噂、伝わらない伝えられない真実、それら欅に纏わりつく物を渾身の思いで引きちぎる。これも勝手な解釈だから伝わらない事の一つなのかもしれず申し訳ないけど、確実に平手さんを器にして欅全員が叫んでいたように見えた。完膚なきまでに何もかも打ちのめしてアンコールは終了。
そして、照明がつかない。弾は1発も残ってなはず。嘘だろ死んじゃうよ。「黒い羊」なら行けるのか?でも、行けるか否かでの判断で動かせる空気では無い。なんだ?
ぽつんと真上からの照明一つでセンターステージに立つ平手さん。しばらくの静寂のあと、聞いたことのあるメロディー。モニターを見ていて最初に目に入った文字、「作曲:ナスカ」。あれだった。映画、響のエンディング曲、「角を曲がる」。また何でかわからないけどその歌詞と平手さんの舞いに自然と涙が流れる。曲が終わり、平手さんがサイレントマジョリティーMVの最後に似たような、それとはちょっとだけ自分も廻りの人と同様に大人になる事を受け入れられた様なほほ笑みとともに言う。それは、弾切れだと思っていたリボルバーに撃たれたのではなく、真正面からの「ありがとうございました」。
結局、欅の全員がこの二日間で伝えたかったのは、欅のイメージや曲のメッセージから来る、攻める、貫くを全部包み込んだ上で、この「ありがとう」という言葉だったんだなと思い、そこには平手さんだけしか居なかったけど、確実にスポットライトの廻りには全メンバーが立って見守っていた。
「ありがとうございました」は、確実にあの場所に来られなかったファンにも向けられていた。あの場所だけが正ではなく、言葉が全て。

また、平手さんがセンターである意味を、ファンは本当の意味で初めて理解したのかもしれない。それはもうセンターという、固定のイメージが着いてしまった言葉ではなくて別の言葉に置き換えなければいけないほど、センターとメンバーという配置の関係性ではなく、メンバーの持つ様々な色を取り込んでありとあらゆる形で表現する無色透明の器と一体で初めて「欅坂46」。でも確実に唯一無二の器。この部分は読み返すとまとまってるようで全くまとめられていないのだけど、欅の解釈はファンぞれぞれで良い。ただしその解釈の向かうベクトルは皆同じ。そう思いました。
それにしても、ものすごい体験をした二日間。欅があるかぎり、チーム欅があるかぎりまたその時は確実にやってくると期待してしまうのだけど、この初回だけは2度と無い景色。しばらくはこの余韻に浸りながら2019年の夏を終えたいと思いました。
チーム欅坂46の皆さん、この景色を見せてくれてありがとうございました。

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